大倉峠の団子屋跡・大倉峠の一里塚

大倉峠の一里塚の信憑性について

  盛岡市教育委員会編「盛岡の一里塚」((昭和62年8月発行)では、「一応一里塚としているが、距離に問題があり、あるいは一連の一里塚よりも古く築かれた一里塚なのかも知れない。」と述べている。東塚のみ現存していて西塚は消滅している、とある。

  しかし、岩手県教育委員会発行(昭和56年3月)の歴史の道調査報告書「宮古街道」の中にある「街道の里程」の章においては、「少なくとも宮古街道についてみると、急峻なる山間部の道程には便宜的に増減した里程があって、里程に定法通りでない点が判明した。従って通称は七里塚とは言うものの、一概には七里塚と決めつけることは不適当と考えられる点がある。」と述べている。

  では、この大倉峠は難所だったのだろうか。
宮古街道調査報告書では、正保および元禄絵図注記には「此処大難所雪中牛馬不通」(簗川村大倉峠・川井村地内榊山=通称大峠)という記述があるから、確かに逐次整備された街道ではあったが、夫伝馬往来としては難所が多く、牛・人力に頼って駄馬の交通には支障が多かったと述べている。
  登ってみた感想しても難所だったのだろうと思う。簗川側から登ったから高度差はそれほど感じなかったけれども、もし、逆に盛岡側から登ってくれば相当な高度差と距離を登ったものと思う。だから、峠の下に団子屋(=餅屋=休み屋)があったのだろうと推察されるのである。なお、この団子屋さんは、大倉勇屋というそうである。
  いずれにしても、もう大倉峠の団子屋は跡形もない。もう数年早く参加していれば見られたものを。残念である。引っ越しの理由は、人が通らないからではなく、近くに簗川ダムができるために、生活道路が水没するため、やむなく移転したということを参加者から聞いた。当然、この旧宮古街道探訪の旅もやがてはルート変更を余儀なくされるのだろうか。

  追記
  宮古街道調査報告書19頁にある次の記述は、現状とあわない。「八木田部落から高畑、大倉峠の両一里塚とも完全で1対づつ残っている。盛岡市で文化財指定を行い保護されている。」 たぶん、誤記の可能性が高い。

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国道から山道に入る角地にある道標
「天狗岩官行 造林地」とある。
この先の地名を天狗岩という。
10:04:45
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10:05:26
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国道から山道に入る今までず〜と下りだったが、いよいよここから大倉峠までず〜と登りが続く。
道幅3mあり。
10:06:42
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どんどん上る。
スピードは全然落ちない。
写真を撮っていると置いて行かれる。

10:07:38
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道にはなぜか、杉の葉をまいたようになっていてとても歩きやすかった。
10:09:13
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途中で、マタタビのを見つけて食す。
甘くてうまかった。本間さんは山の幸を見つけるととてもうれしそう。
その姿が印象的でした。
10:12:13
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大倉峠を示す道標。
まだ大倉峠ではない。ここから1.8キロある
ここに道標があるのは、ここで舗装が切れて、あとはひたすら山道だから。
10:14:12
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大倉峠のかなり下にある団子屋さんの跡地。
3年前まで住まいがあったが、簗川ダムの建設のために
立ち退いたとのこと。いつもおばあちゃんに探訪隊はやさしくもてなしてもらったとのこと。ここで休憩。本当に団子が振る舞われた。感謝。
10:33:39
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団子屋さんから山道に入る。
まだ道は広い。

10:34:42
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ここからは道が様々に分岐していてとても案内なしでは進むことは容易でない。
左の草ぼうぼうが旧街道で、右の立派な道は東北電力さんの送電線保守管理道。
こりゃ、完全に迷うね。
10:35:28
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道はだんだん狭くなり、幅2mくらい。
10:36:04
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まだ東北電力さんと一緒の道だから広い
10:36:29
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つづら折れの途中から、峠の団子屋跡地を撮影
10:36:59
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ここから幅1mの小道になる。
10:37:30
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一列で登る
10:38:33
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どんどん登る。
スピード落ちない。
10:39:38
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と、思ったらやっぱりスピード落ちた。
みなうなだれている。
出発して3時間以上回っている。
10:40:29
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峠への道から見た北上山地。
この間を通って魚や穀物を運んだんだね〜。
10:42:09
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このあたり熊多し。
ブナの枝が折れているのに、密かにビビル。

10:43:33
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まだ登る。
10:44:41
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大倉峠の一里塚。かなり大きい。
一基のみ。木なし。

10:46:03
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大倉峠一里塚にまつわる話をする矢羽々先生。
このときは熊の生態について。
10:46:23
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1盛岡の鍛冶町元標
2八木田(やぎだ)一里塚
3高畑(たかばたけ)一里塚
4大倉峠一里塚
5曽利田一里塚
宮古街道などの脇街道は一里が4.5キロあること
等が記述されている。
10:47:23
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大倉峠の一里塚を出てもまだ登る。
10:58:12
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峠の頂上は間近。
11:06:45
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峠の頂上から区界高原少年自然の家方面を見る。
岩上山へとこの送電線は続いているとのこと。
岩上山が見えたという人と違うという人がいて面白かった。
11:08:00
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この先の森からはず〜と下り。
「え、もう下りなんですか?」と聞いたら、「どうしても登りたい人はバックしながらもう一度登りなさい」とは矢羽々先生談(笑)。
11:09:10
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これも旧宮古街道。
右手は100m以上の落差ある断崖。

11:14:43