曽利田の一里塚・曽利田の宿屋

   曽利田(そりた)という地名に私は大変惹かれるものがある。(岩手にはアイヌ語地名が多いためか、本当に不思議な名前がいっぱいだ)。さて、この曽利田を岩手県地名大辞典(角川書店)を調べたが見あたらない。ただ「鼠入(そいり)」の項に、次のような柳田国男の説明があったので引用しておく。
   「南部方言集」によれば、荒地のことをソランバタケという。ソラスは休田の意味で「ソリ」は休んでいる土地のことを言う。(柳田国男 地名の研究)。よって推察するに、ソリ田はまさに「休田」のことか。(と勝手に推測しています。正式には盛岡市史あたりを参照すべきか)
   さて曽利田の一里塚であるが、この簗川付近は開田その他で現状変更があり旧道がはっきりしないところである。この曽利田一里塚は、南塚のみ残っていて北側は完全に破壊されて失われている。(以上 「盛岡の一里塚」より)
   
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曽利田(そりた)の一里塚(盛岡市指定史跡)。一基のみ残しており北側は。現在の生活用道路からは5m上の断崖にある。
現在の道は利用しやすいように、掘削してあるのだろう。
09:48:23
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旧道を出て国道に出る橋を通行中。
右手が国道106号線。
「曽利田の宿屋」と呼ばれる歴史的建造物がちらっと右端に見える。
車の往来に気を取られて撮影できなかった。
09:50:53
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リーダーの千葉先生が旧街道を歩く中で一番怖い場所と言っていた国道横断。
右手が急カーブになっていてすごいスピードでくる車がまったく見えない。
トラックなどにひかれたら完全にアウト。緊張が走る。
09:51:02
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一回では渡り切れず、二回目の横断組。
横島模様のジャージは鷹橋指導主事さん。
手の動きに緊張が表れてますね〜。
中央の乙女三人は盛岡大学のボランティアさん。
09:51:37
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年季の入ったバス停看板。私はこれで完全に「曽利田」という文字文字の不思議な響きに引き込まれてしまった。
09:51:49
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曽利田一里塚を示す標柱
09:52:19
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曽利田の宿屋
国道106号線沿いを進む。
09:52:24
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国道を一列で進む。
前を進む人が持っているのは山の幸。
09:52:43
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簗川の対岸に

カモシカ発見。

よーーーく、見てください。
お知りと顔ををこっちに向けているカモシカが画面中央に見えますよ。
12倍ズームで取ったのですが、限界でした。
09:59:27
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水沢地区。
バス停看板
10:01:57
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国道を歩く探訪隊。
歩道がないので、写真のように車が対向車線にはみ出してよけてくれる。
写真中央上部に採石場が見える。その手前を右折して再び山道へはいる。
10:02:10
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採石場手前を右折して山道へ入る。
手前二人は数回参加しているベテラン高校生二人組。
10:04:11
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山1個丸ごとなくなるね〜。
10:04:22
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大倉峠一里塚への案内道標。
国道に立っている。ここではない、念のため。
10:04:38