道しるべ・飛鳥口(あすかぐち)の古碑

  宮古街道調査報告書によれば、写真番号075,076の飛鳥口の古碑の場所で宮古街道は旧道と新道に分かれていたようである。「飛鳥口で本道と左手の飛鳥に至る道を分岐する。左手飛鳥道は、嘉倉沢を経て区界に至る文政六年に藤田武兵衛開発による新宮古街道である。この場所に道標がある。」とある。この場合の「道標」というのは写真067を指すのではなく、写真076の真ん中の石を指すようである。その証拠に真ん中の石には、「右宮古道 左山道」とあり、調査報告書の記述と一致する。(067の道しるべは逆を指示している)
  藤田武兵衛の新道については、地図を参照されたい。
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みちしるべ。
中央に「南無阿弥陀仏」
右には「右ハ山道」
左には「左は宮古街道」と刻まれている。
往時、このあたりでも病気などで命を落とした人も少なくなかったろう。

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道しるべ全景
画面の左側が旧宮古街道
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みちしるべ
右は山道(山道のほうが幅広い)
左が旧宮古街道(狭い)
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みちしるべを過ぎるとかなりひらけてくる
このあたりは平静(ひらしず)という地名
稲は「かけはし」と「さんさ」を作っていると地元の人が言っていた
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稲の刈り入れ風景
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山の際(きわ)を進む
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山が植林され人の手が加わっていることがわかる
杉の苗木が植えてあった
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飛鳥口の古碑の説明をきく。
説明して下さったのは、山岳博物館(大迫町)前館長の矢羽々(やはば)先生。
先生の古今東西の博学にみな、真剣に聞き入っていた。
先生は世界55カ国の山々を旅されている山の超ベテラン。
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飛鳥口(あすかぐち)の古碑(こひ)
三基あり、それぞれ寛政12年、寛延4年、慶応元年とある。
それぞれ(1800年、1750年、1865年)で、江戸中期から後期にかけてもの。
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宮古街道道標 庚申供養塔の標柱。
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右上に国道106号線が見える。
国道で言えば、バス停「飛鳥口」付近
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カモシカ保護地域の看板。
まさかこのあと、カモシカに会うとは。
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山際を歩く。
前を行くのは、本間さん。
「山上作太夫」(後述)について研究している。
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