大上(おおかみ)・曲屋(まがりや)

   大上(おおかみ)とは、参加者に配布されたパンフレット中の昭和56年調査資料にあった解説資料の地名です。そこにはこうあります。
「大上(おおかみ)=標柱の北側□地。団子屋。元熊谷宅。今空屋」。宮古街道調査報告書(20p)には、「この先の街道筋には南部の曲屋も点々と残っている。かつては往来の仮宿兼ねた家もある。熊谷吉夫宅は通称「餅屋」と称したという。この地方では休みやを餅屋と呼んだようだ。」とあります。従って、今回は写真miyako053の後ろにかつて家があったのか、あるいは、miyako065の写真中の空き屋になった家を指すのか、はっきりしません。あとで確認してみたいと思います。
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  miyako051
道の合流点に向かって後方を撮影
人が歩いてくる右側が旧宮古街道、左は畑への道か
  08:25:53
  miyako053
盛岡市の標柱。
「ここから東へ900mで簗川一里塚」とあるので、900m下ったことになる。
この標柱からは下は舗装道路が始まる。
  08:27:50
  miyako054
舗装道路との境。
写真に少年の家のサポート車両が見える。
  08:28:05
  miyako055
まっすぐ続く舗装道路
  08:28:56
  miyako056
最初の民家が見えてきた。
左手にはハウス栽培の施設
  08:30:09
  miyako057
栃沢川には大きなクリの木が多い
  08:30:43
  miyako059
左手に最初の民家
  08:31:16
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  miyako060
林道飛鳥(あすか)線との分岐
08:31:59
  miyako061

08:32:24
  miyako062
自然のホップ(ビールの原料のひとつ)
岩手はホップ生産では日本一
08:35:15
  miyako064
南部曲家(なんぶまがりや)。
人と馬が同居できる昔の家
08:35:46
  miyako065
この曲家には人はもう住んでいない様子。
代々、馬や休みどころとしてやってきたのだろう
08:36:09
  miyako066
川幅20センチだった栃沢川もここ
盆花では2m位に発達している。
08:36:14