盛岡中学時代に新舎監排撃運動で退寮を命じられたあとに下宿した清養院(曹洞宗)
盛岡中学時代に よく仏教の勉強をしに来た願教寺(浄土真宗)。ここで島地大等と出会う。
島地大等は東洋大学教授で、後に彼の「漢和対照妙法蓮華経」を読んで「ふるえの止まらぬ感動」を覚え、以後の信仰を決定することになる。賢治が法華経に最終的に帰依するのは、盛岡高等農林卒業まぎわである。
賢治がよく仏教の勉強をしに来た報恩寺 (曹洞宗) 。ここでは尾崎文英について参禅し、頭を青々と剃り上げたりしている。
報恩寺に伝わる「五百羅漢」の解説板。(石川啄木に言及している)
三ツ石と鬼の手形の由来(ここに「岩手」の名前が由来すると言われている。)
冬の中津川(秋にはこの辺りまで、鮭が200KM以上もはるばる石巻より北上川を遡上してくる)
赤煉瓦作りの旧盛岡銀行本店(現岩手銀行)。明治44年(1911年)建設 国の重要文化財。
ござ九(江戸後期から明治にかけて豪商が住んだ家)盛岡市紺屋町
紺屋町番屋。大正期の典型的な木造洋風建築。現在も市の消防団が使用。
中津川にかかる上の橋。慶長14年(1609年)に建設された橋。橋は再建されたものだが、欄干にある擬宝珠(ぎぼし)は当時のもの。