12 高村光太郎と高村山荘

光太郎は第2次大戦中、賢治を頼って花巻に疎開している。何もない粗末な小屋で7年間の長期に渡り一人で農耕自炊生活をしていた。その小屋を今は見学できるようになっている。また、隣には光太郎の記念館もある。館内には光太郎と妻智恵子の位牌や光太郎の愛用品・書・彫刻などがある。私が最初に訪れたのは数年前の3月の平日でした。訪れる人がだれもいないので、山荘はじっくり見ることができたのですが、高村記念館は鍵もかけてあって帰ろうとしたら、どこからともなくおじいさんが現れて鍵をあけてくれました。おかげで、じっくりと鑑賞することができました。山荘については「東京育ちの有名な彫刻家の光太郎が、よくもこんな山奥で、しかも本当に寒く、雪深いところで生活していたなあ」というのが率直な感想。しかし、光太郎は、何を考えてここに7年も住んでいたのだろうと、考えさせられる。
賢治や光太郎については、それこそ、きら星のような日本中の名だたる文学者・作家・詩人・科学者・劇作家・哲学者・宗教家等などがたくさん書いていらっしゃるし、そのほとんどはどこの都市でも入手可能であろう。しかしここでは、地元花巻の方が書いたすばらしい本をぜひ紹介したい。「ぎんどろの町から」笹川うた子著(平成7年刊 発行所は 宮 静枝というお友達の方)。地元でしかわからない賢治や光太郎に関するエピソードが随所に見られる。この方の夫君の家が花巻の古い時計屋さんで、賢治も光太郎も常連だったという。ぜひ、入手して一読してみてはいかがだろうか。
光太郎が亡くなる年に、賢治について、というより花巻温泉について書いている文章が、「群像 日本の作家12 宮沢賢治」小学館に収められている。


花巻市郊外にある「高村光太郎山荘」
見えているのは、山荘をおおっているもう一つの家。実際はこの中に「7.5坪の山小屋」がある。


「高村光太郎山荘」の解説


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