賢治の詩を読んで

「永訣の朝」を読んで 菊池 千恵美

 宮沢賢治という人物にとって妹という存在がよき理解者であったといわれることから、賢治にとって妹の死がとてもつらく人生にとって最大の事件だったということがわかります。この詩の中で妹に対する賢治の深い愛と、深く悲しい思いがひしひしと伝わってきます。そして、その思いがありのままの純粋な気持ちで表現されていると思います。また、賢治の悲しみが深く純粋にわかる表現として、「うすあかくいっそう陰惨な雲からみぞれがびちょびちょふってくる」の部分から賢治の心の中にぽっかりと穴があいてしまった暗い心情が伝わってきます。それは、同時にその後の時間の経過と賢治の心情がより暗く沈んでくるのが分かる表現として「蒼鉛いろの暗い雲からみぞれはびちょびちょ沈んでくる」につながってきていると思います。そして妹が賢治に「雨雪を取ってきてください」と頼み、それを「わたくしをいっしょうあかるくするために」といった賢治の解釈が、自分の暗い気持ちをどうにか明るくしようとする、自分に対しての励ましにもなっているのではないかと思います。そして暗くみだれたそらから白く美しい雪がふってくると感じた賢治は、こころにしみわたらせる白い雪によって明るく安心感を得たような気持ちになっていると思います。また、妹にやる茶碗のなかのこの冷たい雪が「天井のアイスクリームになっておまえとみんなとに聖い資糧をもたらすように」から、妹に対してやすらかに眠ってほしいという賢治の願いと、妹と同じように苦しんでいる人に対しても祈る賢治のやさしさが感じられました。
 この詩はなによりも賢治と妹との交流が、お互いを思うやさしさに満ち、悲しみよりも人の愛の深さというものが伝わってきた詩でした。


「饗宴」を読んで 永田千秋

 自分は資産家の父のおかげで、裕福な環境に育ったものの、自分の住んでいる周りを取り巻く環境は、決して余裕のある状態ではなく、なのに自分はなんの苦労もしていないという事への強い反発が賢治にはあり、それが葛藤となり賢治の生き方や、生涯彼の残した作品にも表れていると思います。  「饗宴」というこの作品を、正直言ってあまり深く読み込むことができませんでした。  と言うのも、私たちが現在過ごしている環境とあまりにも違いがあるからです。
 日本の現代社会に生きる私たちの中に、賢治と同じような葛藤を抱く人がどれくらいいるでしょう。自分たちは裕福な生活をしていても、少し視野を広めるだけでも、多くの貧しい生活を強いられている人々がいます。1年前、日本でも米不足が生じたくさんの人が あわてたと思いますが、そのような状態がずっと続いている所だってあると思います。そういう人たちのために、私たちは何かしてあげているのでしょうか。
 「饗宴」というこの作品は、賢治が生きた時代を象徴しているものだと思います。そして、それは現代の私たちへの呼びかけをしているもののような気がするのです。  自分の手で大切に育てた稲が、大収穫の時は大喜びし、この状態が長く続けばいいと願い、不作の時は、来年こそはと願う、それらは時代にかかわらず、生きる者としての自然な願いです。  農家の人たちにとって、稲は、自分の子供のようなもので、愛情もたくさん注いでいるだろうし、もちろん、手間も時間もかけているだろうし。  なのに、自然災害で、それらすべてが水の泡になったときの農家の人たちの気持ちは、私にも何となくわかるような気がします。
 農家の人たちよりも何よりも、賢治は心を痛めていたのかもしれません。どんなことをしてでも、たとえ、無理無駄だと思われることでも、試してみようとした農家の人たちを見て、賢治は自分の道を決めたのではないでしょうか。  そして、それを、多くの人に知ってもらいたいという思いがあって、作品を残していったのではないでしょうか。
 今回、この「饗宴」という作品で、私は賢治の葛藤をあれこれ考えてみました。


「高原」を読んで 澤田美佐

 たった5行の詩の中に、大きな海、でっかい山 、そよぐ風など自然を表現するのは、とっても難しいことだと思う。
 この詩を読んだとき、とにかく広いとか、おおきいとか、そのようなイメージが浮かんだ。誰もいない高原にたった1人たってみる。一番はじめに何を感じるだろうか。目の前にある自然にあっとうされて、心が洗われるような気になるかもしれない。  この詩の響きは、とてもなつかしくて、暖かい感じがする。そして、鹿踊りを知ってるわたしにとっては、その情景が思い浮かんできます。宮沢賢治も 鹿踊りを知っていたんだと思うと、ちょっとうれしいきがします。
 宮沢賢治の詩や童話は、やすらぎと夢を与えてくれます。けれども、この人には、よくわからないところもあります。賢治の詩の中には、私達ではよく理解できない表現がでてきます。きっと、賢治のそのときの感情がそのままあらわれたのではないでしょうか。わたしは、その言葉の意味を知りたいです。けれども、その言葉からいろんなことが想像できて、その言葉がいろんな雰囲気をもっているので、その言葉の意味がわからなくても何かをかんじることができます。だから、すごいひとだなあとおもいます。無理に、言葉の意味を考えなくてもいいような気がしてきました。  賢治の詩は、とても素朴です。その中にも、何か伝わってくるものがあります。自然や動物なども多く取り入れられています。今の私達が忘れているものにきがつくこともあります。詩というのは、こんなに宇宙的な物だったのだろうか。一つの物をいろんな面からとらえ、時には地球の裏側から、地球の外側からも見ることができる。 だから、この詩に表現されていた、山や風や海はもっと大きな意味を持っていたんじゃないかと思う。  たった5行の詩からそのようなことを感じさせるなんてすごいと思います。 5行の詩を読むことによって、賢治の世界を見ることができ、そして自分の世界を作り出すこともできます。
 そんな詩を作る賢治は、ほんとに天才だと思う。私にも、その能力がほしいです。けれども、誰にも賢治の心はあるのだと思う。だから私達も賢治の詩を読んで共感するところがあるのだとおもった。


賢治のホームページへ戻る
白百合学園のホームページへ戻る