はじめに

 んにちは。岩手県盛岡市で教師をしている安倍冨士男(英語担当)と言います。
私は芭蕉の専門の研究家ではありませんが、松尾芭蕉、特に「奥の細道」という文学作品に
大変興味を持っているものです。私の生まれは宮城県松島の近くです。もう少し正確に言うと、
宮城県桃生郡鳴瀬町野蒜というところで、取立てて有名な場所ではありませんが、強いてあげれば
「日本の最初の近代築港が行われた野蒜港」ということで有名です。横浜港よりも先に建設が行われ、
神戸港、横浜港よりも大きな日本最初で最大の貿易港になるはずでしたが、不運なことに二度の
台風のために建設が断念されてしまいました。おかげで豊かな自然が残ったというわけです。

 話が横道にそれてしまいましたが、小さいころから、遠い昔に松尾芭蕉という
俳句を詠む有名な人が近くの松島まで来ていたということは本などで知っていましたが、
まさかこんなに偉大な人(しかも高潔な求道的な生き方を求めつづけた人)だとは、
三十歳後半に伝記を読むまで知りませんでした。
また自分の通った高校は石巻の日和山にあるのですが、まさか芭蕉翁が来ていたとは
知りませんでした。古典は一生懸命に勉強したはずなのですが、、、。

 しかも(「しかも」と「まさか」が続いて申し訳ありませんが、本当に奇遇なんです。)
生まれ故郷を離れて盛岡で暮らすようになり、岩手県盛岡市から実家のある宮城県鳴瀬町まで、
年に数回、車で往復するのですが、そのルートの一部は(通称一関街道と呼ばれる
一ノ関と石巻を結ぶ街道は)、芭蕉翁が石巻から一ノ関に向かった奥の細道ルートだった
ということに、はやり最近気がついて不思議な因縁のようなものさえ感じています。
そういえば大学は仙台に7年間おりましたが、仙台の街の中には「芭蕉の辻」という地名まで
残っていました。もうこうなったら芭蕉さんについて調べなくては気がすまなくなりました。そこに
持ってきて1999年秋に滋賀県の長浜市立北中学校 の廣部先生から「松尾芭蕉でいっしょに
学習しませんか?」
とお誘いを受けました。そこでこのホームページを作っています。

 さて皆さんは国語の教科書に出てくる「芭蕉 奥の細道」を現在学んでいることと思います。
学校の国語の先生からいろいろなことを教わっているところだと思いますが、どうせならあまり
他の人が調べていないようなことを調べてみようじゃありませんか。といってもあまり大きなテーマだと
手も足も出なくなってしまうので注意が必要ですよね。以下に私が考えているテーマを列挙します。
もし興味を持ったらどれか1つを選んで、(もちろん選ばなくても結構ですが)取り組んでみては
いかがでしょうか。私もいずれは調べてみたいと思っているテーマです。一緒に奥の細道の
探求の旅に出ましょう。



1 松尾芭蕉は46歳で67日2400キロの旅を、徒歩で旅行していますが、
何を目的に旅に出たのでしょうか。芭蕉は死をも覚悟していますね。
死んでも悔いのない目的とは何だったのでしょうか。

2 46歳というと現代では、まだまだ「現役のバリバリ」ですね。皆さんのお父さんよりも
ちょっと年上くらいでしょうか。今ならゴルフや登山、スキーなどを楽しんでいたでしょうか。
でも今から300年前の江戸時代も46歳というのは本当に「若いバリバリの世代」だった
のでしょうか。それともかなりの高齢だったと考えた方がいいのでしょうか。江戸時代の
平均寿命から考えてみるといいと思いますが、どうでなんでしょうね。

3 芭蕉は奥の細道の前にもずいぶんと旅をしていますね。また奥の細道の場合も
約3ヶ月に渡って、旅館に泊まったり、人に泊めてもらったりしていますが、
どうやって旅費を捻出していたのでしょうか。現代の私たちが3ヶ月も旅行をすれば
相当なお金がかかりますね。

4 奥の細道の中で皆さんの好きな俳句、優れていると思う俳句はどれですか。
またそれはなぜですか。参考までに山口誓子という俳人の人が大胆に次のように
言っています。皆さんも大胆に自分の根拠、感性で選んでみてはいかがでしょうか。

秀句を三句選ぶとすれば、「閑さや、、、」「五月雨を、、、」「荒海や、、、」で、このうち
「荒海や佐渡によこたふ天の川」が最高の句である。三句すべては日本海で詠まれた
句である。明るい太平洋側で詠まれたものは1つもない。なぜなら太平洋側は古より
歌枕として数多くの人が詠み、芭蕉は古人の心に触れ感慨無量となって句を詠むことが
できなかった。それにひきかえ奥羽山脈を越えると歌枕が少なかったので、名所で古人の
心を思い出さずに、風景とがっちり取り組んだから秀句を作れた。
(奥の細道 山と渓谷社 65ページ)

5 皆さんの近くを芭蕉さんは通っていませんか。奥の細道だけでなくその他多くの紀行文を
発表していますから、東京以西の方もちょっと調べれば芭蕉さんの足跡を近くで発見することが
できますね。その場所をデジタルカメラで写して記録を調べてレポートにまとめてみましょう。
最近、私は学校の修学旅行で京都の嵐山に行く機会がありましたが、ガイドブックを読んでいたら
嵐山の落柿舎に芭蕉さんが滞在していたことを知り、ちょっと寄ってきました。

6 芭蕉さんが俳句を詠んだ場所でみんなも俳句を詠んでみてはどうでしょうか。
なにも芭蕉さんのような立派な俳句を詠まなくてもいいじゃありませんか。自分の言葉を
五七五のリズムに載せて、感じたことを表現すればよいのです。もっとうまく俳句をつくりたくなったら
(あるいは俳句を作れなかったら)、その時初めてどうすればよいか考えても遅くはないと
思いますが、、、。

7 「芭蕉さんは忍者だった?!」とう芭蕉忍者説というのがあります。例えば井沢元彦さん
という人が「芭蕉忍者説の周辺」(奥の細道の旅 講談社 146ページ)というエッセイを
書いています。芭蕉忍者説の根拠は何かまとめてみると面白いと思います。また他にも
芭蕉忍者説があったらまとめてみましょう。「そんな馬鹿な」と思う人があるかも知れませんが、
案外どうだったかわかりませんよね。またそんなことを考えてみるのも面白いと思います。

8 芭蕉さんに影響を与えた人に西行という人がいます。西行さんの経歴や作品を調べてみて、
芭蕉さんが西行さんにあこがれた理由をまとめてみましょう。

9 もし近くに芭蕉さんの通ったルートがあれば、同じ日同じ時間帯に通ってはどうでしょうか。
気をつけたいのは、陰暦と陽暦の違いです。陰暦と陽暦の違い(その発生も調べられたら
いいですね)も調べてみましょう。三百年後の同じ時間に同じ場所を歩いて、芭蕉さんが句を
詠んだ場所で三百年後の今、何が見えるか調べてみましょう。

10 芭蕉さんの書いた奥の細道のような作品を紀行文といいますが、他にも優れた紀行文を
読んだことがあれば比較してみましょう。
わたしの好きな紀行文(?)は以下のようなものがあります。


著書名を忘れてしまったのですが、アラスカに一冬手作りの家に一人で住んだ男の記録も
感動しましたですね。この位でやめておきます。(また思いだしたら書きたいと思います。)

11 芭蕉さんの書いた奥の細道は、江戸に戻ってから推敲して書かれています。
旅に同行した人として門人の曾良さんがいますが、部分的に奥の細道と曾良さんの
書いた「曾良旅日記」の記述が食い違っているところがあります。記述の食い違っているところを
集めて一覧表にしてみましょう。できればその記述の違いはなぜ起こったのか、1つでも原因を
追求できると面白いですね。

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