ここは
イーハトーブ山猫研究室です。          

わたしはこのサイトの管理者で安倍冨士男と言います。
イーハトーブというのは、宮沢賢治先生(岩手県花巻市生まれの詩人、童話作家)の造語で「理想郷としての岩手県」をさす言葉です。
山猫
は注文の多い料理店に出てくる山猫のことです。

メールアドレスは  abe★morioka-shirayuri.morioka.iwate.jp■ です。(前後の■を取り、★を@に代えて下さい) 


英語の資料

英語関係のアーカイブです。 どうぞ、ご自由にご利用下さい。

 英文法徹底演習ドリル
 まだ準備中
 大学入試センター試験 英語問題  徹底対策対策ドリル
  まだ準備中

 「世界で一番わかりやすい東大英語解説問題集」


まず、4年間分の問題を解き方をじっくり読んでから、自力で解いて見てください。
すべてB4横で、書き込みできるようにしてあります。
ダウンロード後は、B4用紙が印刷できるプリンタで印刷して利用下さい。
もし、誤字脱字などがありましたら、ご連絡下さい。
また、「いいね。」とか、「助かりました」という方もメール下さい。
そうしたメールが、次のプリントを作る原動力になるのです。
よろしく!

 
 第1問A 要約問題の解き方 2004〜2007

  
第1問B 段落問題の解き方 2004〜2007

  第2問AとB 英作文問題の解き方 2004〜2007 

  
第4問A 文法問題の解き方 2004〜2007 

  第4問B 英文和訳問題の解き方 2004〜2007

  第5問  読解問題の解き方 2004〜2007


次に、直近の問題は、年度ごとに解いてください。
最初は、時間など気にすることなく、日曜日1日かけて、辞書をたっぷり引いて、納得しながら解くといいです。
2つぐらい、そうやって問題に慣れて、最後の1つは時間(2時間です)制限を設けてやってみて下さい。
自分の弱点がはっきりするはず。

   
2010 東大英語 解答解説付き

  2009 東大英語 解答解説付き

  2008 東大英語 解答解説付き

  

 岩手県立大学 学部別 英語トレーニング問題集
 
まだ更新中
   

宮城県北部沿岸地域における方言データベース   2003年3月製作   安倍冨士男
   (音声ファイルを使用した教材・辞書作り)

方言の音声ファイルが見だし語で560個あり、例文を入れると1000を越えます
英語話者にも理解しやすいように、英訳もつけました。インフォーマント(言語提供者)は私、安倍冨士男です。
パソコンの種類によっては、再生時にノイズが入ることがあります、ご了承下さい。


  (問)さてここでクイズです。日本人で初めて世界一周した人は誰でしょう?
  (答) 江戸時代末期、宮城県石巻港から出航して難破しロシアに漂流した千石船若宮丸の乗組員、儀兵衛と多十郎です。

彼らこそ、私の出身地宮城県鳴瀬町の生んだ英雄なのです。お墓は私の実家の近所にあって、その子孫たちは中学時代の後輩でした。そんな縁で、「石巻若宮丸漂流民の会」に所属することになりました。その活動の中で東北大学東北アジア研究センターから「露日辞書・露日会話帳」(ニコライ・レザーノフ編著・日本版田中継根編訳 非売品)が出版され約200年前の石巻地方の言葉が、ロシア語と対訳で現在、見られることとなりました。あらためて先人の艱難辛苦と方言の偉大さ、大切さ、世界性を認識した次第

 またそのころ、すっかりオホーツクにとりこになった私は、ナショナルジオグラフィックやノンフィクション全集など、いろんな文献を読んでいたのだが、決定的だったのは、
井上靖「おろしあ国酔夢譚」を読んでこうした漂流民の壮絶な生き方に感動し、なんとしても自分の出自にかかわる方言辞書を作って後世に残さねばならぬ、きっとこの仙台北部方言も、あと20年もすれば、この世からすっかり消えてしまうだろうと危惧した訳なのです。
 また、必要もないのに音楽や音声を流すサイトが多いのに閉口し、一方でインターネットで音声を使った面白い試みはないものか、とかねがね思っていたので、この方言レキシコンは自分のインターネットにおけるツール使用の問題(音声が有効なウェッブとは何か?)に対する1つの解を提示しようとしたわけです。
 ただ、断っておきますが、わたしの悪い癖で、見だしだけは大仰でいろんな事を書いていますが(日本の方言地図など)、たぶんレキシコン以外は完成しないでしょう。また更新もしないでしょう。なんて無責任な、と思われるかも知れませんが、当時は作る勢いと資料があったのですが、作ってから個人的に周辺でいろんなことがあり、だいぶ時間が経過してしまって作った時の勢いがもう無くなっているからなのです。

 松尾芭蕉「奥の細道」遠隔共同学習  1999年10月  安倍冨士男と長浜北中学校3年生の皆さんと廣部先生
  (インターネットと古典学習。遠隔共同授業)

松島(霊場雄島) 芭蕉句碑(松島) 雲居禅師(瑞巌寺) 歌枕「まがき島」塩竃市
 滋賀県長浜市立長浜北中学校の古典授業「奥の細道」において遠隔交流授業を実施。東北から芭蕉ゆかりの画像と解説を届けた。また電子メールでやり取りも行った。
 取材地は、塩竃市、松島町、鳴瀬町、石巻市、登米町、一関市など。ただし、一関市を取材した後にカメラのデータを紛失しがっくりして再度取材へいく根性がなくなってしまった。

 宮沢賢治ワンダーランド     安倍冨士男作     1996年2月         
 (HPで学習素材の提供・メールで交流)

賢治先生     小岩井農場と岩手山  わたくし(イギリス海岸にて)  賢治先生と田んぼ
日本最初の宮沢賢治に関するホームページ。
当時はカシオのQV-10というデジタルカメラが出たばかりで解像度も悪かったので、銀塩フィルムで写真を撮影し、HTMLタグをsimple textというマックのエディタで書いた。
 全国の賢治ファンからのメールは、200通を超えているが、そのすべてに返事を書いた。ほとんどが賢治先生の作品に関する質問。例えば、「『「あめゆじゅとてちてけんじゃ』ってどんな発音ですか?先生から発音が悪いと言われました。横浜の小5の女子」などです。ちゃんと返事を書きました。その後、作成の顛末とその後の全国の小中学生との電子メールでの交流をを「インターネット時代の宮沢賢治」というタイトルで宮沢賢治学会で平成15年に発表を行った。

ここからは理科的な仕事を紹介します。


アニマルトラッキングの世界    2004年 1月12日公開開始 安倍冨士男

東北の冬の活動をウェッブサイトにまとめられないかなあ、というのがIT的な主眼です。動物をやる前は、雪の結晶を写真におさめようとPC顕微鏡を使って、2年前に冬に結晶の写真撮影にトライしましたが、私の腕ではダメでした。

その頃に考えついたのが動物の足跡を写真にとって図鑑を作ったら便利なのでは、ということでした。
 カモシカ・オコジョ・ウサギなどを実際に目にした時の驚きと感動を資料に残して置きたいと常々思ったいたからです。
  写真を撮るたびに更新していきます。

キツネのあしあと(拡大) キツネのあしあと(全景)

 奥州街道の探訪の旅   安倍冨士男   2002年11月    (デジカメのExif情報とGPSのログを対応させて地図に位置を求める)

html/img_0495.htm html/img_0522.htm html/img_0549.htm html/img_0570.htm html/img_0607.htm
奥州街道の起点 
盛岡市紺屋町  
田中地蔵さん
盛岡市上田通り
高松神社から見る
岩手山    
上田一里塚
盛岡市緑が丘
松園地区
県立博物館前
html/img_0619.htm html/img_0633.htm html/img_0705.htm --
四十四田ダム湖
この下に奥州街道が
小野塚一里塚
盛岡市松園地区
笹平一里塚
水没して消えゆく一里塚
 身近なところで埋もれている古い街道を歩く楽しみを探求しました。江戸から津軽までの奥州街道が家の脇を通っていることに驚嘆し、取材を敢行。
取材もだが、事前の資料収集に苦労した。ほとんど市販の本はなかったので、教育委員会発行の各種資料を参照した。
ひとつ提案です。現在、笹平一里塚がダム湖に半分水没しており、このままでは流失してしまいます。はやく保全措置をとりましょう。国土交通省さん。よろしくお願いします。
 ここにカシミール3D(フリーソフト)というソフトで表示できるGDBファイルを置いておきます。 ココです。クリックしてダウンロードして下さい。そして、そのファイルをカシミールにドラッグドロップしてみて下さい。あ〜ら、不思議! あなたのパソコンに奥州街道(上田一里塚元標〜岩手町)のルートが表示されますよ!

 宮古街道の探訪の旅      安倍冨士男 2002年10月 
  (GPS、地図ソフト、デジカメ、紙のメモという4つの記録媒体の融合は可能か)

miyako001 miyako017 miyako023 miyako029 miyako132 miyako199
区界少年自然の家出発  旧街道は山の中 簗川を渡る 簗川一里塚 大倉峠一里塚 八木田一里塚で皆と
盛岡市立区界高原少年自然の家の企画旧宮古街道探訪の旅という1泊2日の企画に参加して取材。
初めて自分で買ったカメラを持参して撮影取材。撮影枚数は1日で200枚でした。デジカメ耐久テストみたいなものでした。
このころから地図をなんとかしたいと思い、カシミール3Dというフリーソフトにはまって地図をウェッブ掲載することを思いつきました。
また友人がガーミン社のGPSを持って歩いた場所(ログ)を記録しました。

 盛岡市内中学校の生徒と一緒に環境学習 安倍冨士男と松園中学校中学三年生15名と田浦先生 2000年8月

帽子をかぶっているのが私 水性生物の観察 ペットボトルで濁度測定 川石をひっくり返して
水生昆虫探し
(内容の概略説明)
盛岡市立松園中学校(中学3年生総合的な学習の時間における環境学習班 15名)の学外講師として、一緒に盛岡市内を流れる北上川の河川水質調査・水性生物調査を実施。
 結果は、その年の日本自然保護協会の「全国一斉川調べ調査結果」に記載され、同協会の調査結果ポスターには松園中生15名の名前がしっかり掲載されることになりました。

 みんなで潜ろう三陸海岸  1999年
   
 (インターネットを使って海底と教室を結んだ双方向のライブ授業は可能か?有効か?)

1999年9月  みんなで潜ろう三陸海岸実施チーム(代表 安倍冨士男)
     参加校 姉帯小学校、真城小学校、常葉小学校 以上岩手県水沢市立
      私立盛岡白百合学園小学校、岩手県立松園養護学校 以上の児童120名と先生方
クリックすると動画(数秒間のムービークリップ)が見られます
ホヤと私 タコ ウニ ヒトデ

三陸海岸の海底7mと5つの小学校をインターネットで結んで実施した世界で最初の海底ライブ授業。リンク先の「素材集」を見て下さい。海底のムービークリップが見られます。34k/bpsなのでとても軽いですよ。準備に3ヶ月かかりましたね〜。本番では死ぬかと思いました。酸欠です。私、ダイバー歴18年のベテランなんですけど、、、。協力は、シスコシステムズ、CEC、綾里漁協、海洋科学技術センター、NTTグループ、国連大学、岩手県、白百合学園でした。すごい豪華メンバーです。中継に使った機材は、私の前に坂本竜一さんがインターネット中継コンサートで使ったシスコのルータや、NTTの災害対策用パラボラアンテナ搭載中継車などでした。   
三陸海岸海底授業準備計画書(事前にまとめて周知したもの)

ネットワークを使った海底からのリアルタイム授業報告書(事後にまとめたもの) 
環境gooの「ITと環境教育特集」に海底授業が掲載されました。(2004年3月1日) 
  


 ぼくらの北上川  安倍家全員参加    1999年8月  
    (デジタル水温pHテスター、デジカメ、子供と大人のコラボレーション、ウェッブサイトを作りCD-ROMで夏休み宿題提出)

北上川の源流
岩手町御堂にて
phテスター測定
北上川唯一のダム
四十四田ダム 
イワナ捕獲
岩手県盛岡市 
一日目の終わり
岩手県盛岡市 
四十四田ダム
北上川の中流域
岩手県北上市
宮城県と岩手県の県境 北上川河口にて太平洋
宮城県石巻市
「息子とカヌー」という本の題名に惹かれ、小学生の息子と一緒に川を下ってみたくなり、当初カヌーの計画だったのをお手軽に車でpHテスターを片手に240キロ調査した記録。1999年盛岡市小学校夏休み作品コンクール優秀賞受賞。当時はまだ珍しいCDに焼いて記録集を作り、提出。

 ゴムボートからのリアルタイム情報発信 岩手県・国連大学・NTTの環境共同ネットワークプロジェクトに参加    1998年8月から11月    
  (カヌーで川を下りながらHPが作れるか?  究極のモバイル通信環境を目指して)

 次の4つのサイトに情報が掲載されている。
  北上川Governor's Ship ・ 北上川・河川情報社会実験 ・ 北上川フェア '98 
 ・ IWATE・UNU・NTT環境ネットワーク共同研究プロジェクト

北上川ウナギ漁のしくみ 子供は大型カヌーで
ダウンリバー
北上川で2つめの締め切り
脇谷閘門通過(宮城県石巻市)

  川を下りながら環境調査をやってホームページを作りながら下って行けるかという実証実験。
自分で言うのもなんですが、これも日本で最初の挑戦でした。
  北上川は流域面積が日本第4位の河川ですが、今回は岩手県盛岡市から宮城県石巻市まで全長200キロメートルを下りました。
 人工衛星を利用したゴムボートからのリアルタイム情報発信 − 北上川250キロの旅 − 
     コンピュータと教育全国大会(京王プラザホテル)での発表原稿


 北東北の樹木図鑑   2002年6月 安倍冨士男と登山部生徒
 おかげさまで20004年4月 デジタルコンテンツグランプリ東北2003において部門賞を頂きました。
 (デジカメで撮る身近な自然。調べる・分類する。ウェッブで公開。知の共有)

シラカバ  単葉の解説図 日本の森林分布 ヤマモミジの葉

市販の図鑑は初心者に使いづらいと思い自ら岩手の里山にある樹木の図鑑作りに着手しました。
北東北にだけ普通に見られる樹木だけを掲載したら使いやすいのではないかと思いはじめました。
取材に2ヶ月、構成に3ヶ月費やす。取材地は盛岡市立区界高原少年自然の家の樹木観察林。
なお、写真は300枚を越えるオリジナル写真。それと自作の各種地図あり。
ぜひ、「森林の構造」を見て下さいね。これを記述しているのは、東北大学付属演習林のHPだけですよね。

そして

2004年に「北東北の樹木図鑑」を販売開始しました。
2006年9月に2000部完売しました。ありがとうございました。
書名: 北東北の樹木図鑑
著者: 安倍冨士男
発行所: NPO法人いわて森林再生研究会
価格: 500円
サイズ:A6版 40頁 オールカラー
取り扱い店:盛岡市 さわや書店(本店および県内の支店)
総合学習や自然観察会のテキストとしてもどうぞご利用下さい

 しし座流星群観察ページ    安倍冨士男と白百合学園高校登山部生徒   2001年11月
 (デジカメやムービーで流星は撮影できるか?・高校生観測ネットワークへの参加)

日本では流星雨になるのでは」と予測された2001年のしし座流星群。
そこで高校生国際観測チームに参加して観測を行いました。2日目の夜には、
なんと
600個もカウントすることに成功しました。
いや〜。ほんとすごかったです。空が燃えてしまうのでないかと、、、。
それくらい迫力のある流星の雨でした。
HGウェルズの「宇宙戦争」を思い出しました。

ここからは情報及び情報教育の仕事を紹介します。

家庭内におけるインターネットを利用した消費行動の変化について   安倍冨士男、安倍恭子(共著) 2001年

2001年の時点で、インターネット常時接続の価格、オンライン販売、ネットオークション、主婦層の消費行動の変化について考察した論文。
(財)流通経済研究所主催 「2001年インターネット時代の消費者像を探る」研究論文公募に対して応募。
 その結果、全国からの多数の応募の中で5編の入賞論文の1つに選ばれました。
まったく驚きでした。自信を持って書いたのですが、まさか入選するとは、、、。しかも、他の論文は3人が国立大学の院生さんで理論経済学や数理経済学の論文でした。またその中からさらに拙著論文のみが財団法人流通経済研究所の「流通情報No.382」10-21頁に収録されることとなり、多くの人の目に触れることになりました。

 急速に普及し始めているネットワーク利用売買、及び地方の消費者の実態を考察しておかなければいけない、
誰かがこのカオス状態の記録を残しておかなければと思っていたので、公募を契機に1ヶ月ほどかけて書き上げました。

 中尊寺金色堂と白百合学園中学校で双方向の郷土史遠隔授業 IBC岩手放送・中尊寺・盛岡白百合学園中学校  
  
2000年12月27日夕方5時から6時まで生放送1時間特別番組

(内容の説明 番組を掲載する訳にもいかないので)
20世紀最後の記念イベントとして(2000年12月31日が20世紀最後の日)、IBC岩手放送の年末特別番組に生徒20名と共に出演しました。
これもまた今までにないすごい企画でした。何がすごいってネットワークレイヤーが3つ(?)もありまったく混乱しました。

まず第1層がテレビが生中継で、盛岡白百合学園中学校と中尊寺金色堂(国宝)とIBC本社の3元中継を行い、
盛岡白百合学園中学校にはハンサムな神山浩樹気象予報士が女子中学生に囲まれて出演、また中尊寺には渋い河辺邦博アナウンサーとチャーミングな風見好栄アナウンサーがコートに手袋で寒さをこらえて出演し、テレビネットワークで20世紀最後を締めくくるストーリー。
平行してネットワーク第2層が、盛岡白百合学園中学校の中3生20名が中尊寺のとっても偉いお方(袈裟を着たお坊様)からインターネットで双方向授業を受けるという
20世紀最後(?)の試みを行いました。

 ネットワーク第3層が、電話です。バックアップで携帯電話で連絡を取り合いながら、進行しました。
学校の外では、大型バスのような中継車がパラボラアンテナをあげており、インターネットはチャットと金色堂の映像を見ながらの歴史授業でした。
回線は某通信キャリアの協力でISDNを何本か臨時に引いたと思います。(後述する理由から、ちょっと記憶が鮮明でなくなっている)

 企画、打ち合わせ、ネットワークの物理的準備に約2ヶ月。年末の休校時に生徒を夜間出校させる校内手続きや保護者への案内文書など山ほどの仕事をこなし、いざ本番の当日を迎えました。
生徒(と、お坊様)がメインなので私は20秒だけ神山アナから「先生、普段どの様にご指導なさっているんですか?」に対してさわやかに答えるはずだったんですが、
応答はしどろもどろ、ろれつがまわらず、顔はひきつって完全に頭はまっしろけ。前日から練習していたセリフなのに。
で、すぐにTV中継画面は生徒の笑顔に戻りました。まさに20世紀最後の恥。がっかりする私に「まあ、生中継はそんなもんです」と、IBCの近藤記者に慰められ、、、。

 実は前日はほとんど興奮と不安と疲れで眠れずの状態だったんです。夜6時に終わって撤収して、生徒を全員保護者に迎えに来てもらい帰してから、
後始末を最後までして下さった学校長、教頭先生と別れ帰宅して家に帰ってすぐダウンして、2日間ほど寝たきりになりました。
起きあがったのが12月30日。わたしの20世紀はあと1日。(まあ、私のことはどーでもいいんですが)

(テレビ生出演は疲れる)
1月1日の21世紀になってから録画した番組を見ました。
番組には20世紀最後を飾るにふさわしい方々が沢山出演しておりました。
増田岩手県知事、ミスター半導体岩手県立大学長西澤潤一先生、音楽家の姫神さんなど岩手の顔とも言うべき人々が21世紀への希望を真摯に語っておられました。
そしてエンディングは、ジョンレノンのイマジンが流れ美しい岩手の風景とオーバーラップしてで感動的フィナーレ。

泣けました。苦労が報われたかなあ、遠隔授業も成功だったかなと。
それから、自分の映像も思ったよりもそんなにひどくはないかも、と気を取り直しすぐに元気になりました。


 修学旅行ライブレポート   1997年12月
 
(生徒を引率しながらHPは作れるか?   モバイル通信の可能性を探る・デジタルカメラの速報性の検証)
  2002年度 第2回全国修学旅行ホームページコンテストで最高賞の文部科学大臣賞を受賞。 

広島平和祈念聖堂 広島で清掃活動 京都金閣寺(ワンダフル!) 嵐山で  奈良東大寺大仏殿の柱と生徒
修学旅行の様子をライブで報告したら面白いのではないか、保護者や学校の同僚教師が心配しないですむのではないかと思い、当時高価だったデジタルカメラ(アップル社のとフジフィルムのを2台使用)とマッキントッシュのカラーノートパソコンを使用して取材。それを宿舎ホテルでHTML化し(当然、simple textというワープロで書いた)公衆電話からモデムを使って送信した。という途方もない実験。
 その後、平成14年までずっと続いている。なんと平成14年には第2回全国修学旅行ホームページコンテストで最高賞の文部科学大臣賞を受賞。
私は初回と2回目を担当し、その後は同僚教師に引き継がれている。(平成15年度も担当)
 盛岡白百合学園高校内の「行事紹介」の中に過去から現在までのライブレポートが掲載されている。

 盛岡白百合学園のホームページ    1995年    安倍冨士男   
  (解説書なしで学校の素人教師にHPは作れるか? 学校でHPを作って公開する手続きとは?)

 盛岡白百合学園中学高校のホームページは、国立の岩手大学と並んで岩手県で最初の公開ホームページ。岩手県で最初の1枚目。30ページ以上を独力で、ほぼ1ヶ月程度で作成しました。早く完成していたのだが、校内手続きに時間がかかってA4版1枚のトップページだけ公開した岩手大に数日遅れてしまった。 こちらは30ページ以上だったのだが、それが裏目に出た。まだ  誰も学校内でHPの認可について知識がなかったからしょうがなかったのだが。ウソだと思うかも知れませんが、1995年当時、盛岡市内で最大のさわや書店にインターネット関連の本はたった二冊しか販売していませんでした。断っておきますが盛岡市って、岩手県の県庁所在地です。一冊はインターネット漂流記といUNIXの本、あと一冊は何だったかしら、、、? 記憶にないです。インターネット漂流記は買いましたよ。読みました。しかし何のことだか、まったくわかりませんでした。 笑
 ある時、東京のNEC本社の営業担当の人に、HTMLタグ解説という30ページ程で小さくて薄っぺらな非売品の社内本を研究会の時にもらいまして、それを見ながらHTMLなるものをテキストエディタ=ワープロで<img src=" ">という風にせっせとタイプして作りました。
 最初の実験でPC(マック)から校内のUNIXサーバーに転送して、マックウェッブというブラウザで見えたときは、ふるえるほど感動しました。(ホント)(注 ネットスケープはまだ存在しない。もちろんIEも。マック用にはMACWEBというブラウザが唯一ありました)
 作成には時間、労力、許認可で相当苦労しました。またサーバ管理でも。英語教師をやりながらよく勤まったと思います。(注 正確にはちょっと違いますね。 実はこの後に何度か入院を余儀なくされました。 学校で全校集会中に突然、腹に激痛がきて、そのまま入院・翌日手術。ホントです。 泣笑)
  ほとんど、家には寝るだけに帰ってきたようなものでした。それがほぼ1年以上続いたように記憶しています。デザインも米国の素材集サイト(日本には当時そんなものはない)から3D系のカラフルなアイコンを沢山使用して、かなりきれいに作ったと思います。(実際、工学部系の大学生からよくどこから素材を持ってきたか教えて欲しいとよくメールがありました。) 現在の白百合学園のHPは私が担当していないので、当時の姿はありません。

ここからスポーツ関係の資料です。
毎日更新しているハンドボールスポーツ少年団のページはこちら リトルハンド


 オンライン・ハンドボール教室    
  
(クリックするとリトルハンドというハンドボールページへジャンプします)    2004年 2月8日
  (オンライン動画教材の望ましい形とは、一体どんなものなのだろうか?)

ジャンプシュートのコマ送り解析   (0.1〜0.2秒ごとのコマ送り静止画像)
上昇中 最高到達点に達し 降り始める
まだボールを保持している
かなり降り始めている
まだボールを保持している
ショットの体勢
 今まで「動画を使ったら効果的な素材は何だろう」とずっと考えておりました。
どうも動画でなくてもよさそうなものを無理に動画で流しているようなサイトが多く(笑)、まして動画を使った教育用の有効なコンテンツがなかなかないなあ、と思っていました。(私が寡聞なので、そういうものはたくさんあるのかも知れませんね。)
それで、自分なりに1つの解答を作ってみました。また、ただ作るのではなく、それが実証的に教育に有効かどうかも検証しようと思っています。幸いに、ハンドボールのスポーツ少年団の指導に関わることになったので、ハンドボールを題材に教育用動画コンテンツを作りました。
 本編は、ぜひリトルハンドというハンドボールのホームページをご覧下さい。
なお、モデルを頼んだリトルハンドOBの立花直之君は、中学3年の時に全国ベスト7に選ばれた優秀な選手です。
ほんとうにきれいなフォームです。まるで空中に浮かんでいるようなフォームです。
オンラインハンドボール教室はこちら→  基礎編  シュート編  フェイント編  ディフェンス編

そして

 ついにビデオ化決定! 「ジュニアハンドボール教室」(1000円 30分 カラービデオ)販売  2006年に300本完売しました。
 販売に関しましては、(株)ニューフレンドさんのご協力を頂きました。ありがとうございました。北海道から沖縄まで全国通販しました。
(ハンドボールのホームページに書いた「製作経緯」)
今まで当ホームページでは、「オンラインハンドボール教室」で皆様に情報提供を行ってきましたが、やはり小さい画面で見るよりは、大きい画面で見たほうがいいですし、またビデオで繰り返し見たほうが、パソコンでダウンロードして見るよりもはるかに便利だと思いまして、平成16年3月にビデオ化を決意しました。
 いろんな方から、「うちの子供は、パソコンで何度も見ていますよ。」と言われることがあり、目を悪くしないうちに早くビデオ化してあげたいと思った次第です。
しかし、デジタルビデオのコンピュータによるノンリニア編集は、相当高度な技術とセンスを要しますし、また根性と時間とお金もかかりました。動画編集ソフト「プレミア」のマニュアルを何度も何度も読み返したり、大昔のNHKの「テレビスポーツ教室ハンドボール」を見て映像編集について勉強しました。何回もやり直しをやったり、パソコンの能力がついていかないためデータが飛んだりして、何度も「泣き」が入って「もうやめよう」と思いました。
 しかしハンドボールをうまくなりたいという全国の小学生、中学生、高校生のことを考えると、再びペンを(いや、マウスを)執ったのでありました(笑)。撮影に協力してくれたリトルハンドのOBの苦労もあるし、「ここで投げ出す訳にはいかない!」、と思い返しました。そしてビデオ製作会社に4月にマスターテープを送ると、「ビデオのジャケットはどうします?」と聞かれ、まあ透明の入れ物にでもしようかと思ったのですが、周囲から(家族ですが)、ここまでやったんだから、「ビデオレンタル店に並んでいるような立派なデザインにしたら」と言われ、「それも、そうね。」と軽く返事をしたものの、、、、。ビデオダビングサービス会社では、「イラストレータ」か「フォトショップ」で製作した原稿しか入稿できません、とのこと。皆さん、知っています?イラストレータやフォトショップというソフト。印刷会社やデザイン会社のプロが使う相当高価で、高機能な、そして難解なソフトなんです。それでそれを購入して、またマニュアルを買ってきて、版下デザインに取り組みました。これだけで1ヶ月以上です。そしてついに完成しました。ここまで来れたのも、ハンドボールファンの皆様のおかげです。ありがとうございました。特に、撮影に協力
してくれたリトルハンドOBの田中銀慈君、立花直之君には感謝しております。

以上です。